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N、INの時期の天候を風向きを中心に考える


この記事は、私(荒井タダヒロ)が『レース鳩』誌98年8月号に書いたものの再録です(一部訂正)
●大西洋の影響を強く受ける
 日本を含めたアジアの極東地域のように、大陸の東岸では東岸気候といって大陸の影響を強く受ける。一方、ヨーロッパのように大陸の西岸にある地域では、その西にある海洋の影響を強く受ける。これは地上の天気が、上空を吹く偏西風と呼ばれる西風によって、西から東へと移る性質があるためである。
 もともと大陸は太陽の熱で暖まりやすいかわりに、はやく冷める性質がある。対して海洋は、暖まりにくいが、冷めにくい性質がある。この大陸と海洋の性質の違いから東岸気候と西岸気候の違いが出てくる。
 つまり、ヨーロッパは海洋の影響を強く受ける西岸気候のため、あまり暑くならないかわりに、あまり寒くもならないおだやかな気候になる。地図の緯度でいえば、ヨーロッパのほとんどの国が日本の秋田県より北側にありながら、比較的温暖である大きな理由は、この西岸気候にある。同じユーラシア大陸でも、大陸性気候の東ヨーロッパやロシアは冬は極寒になる。
 ヨーロッパでIN、Nレースが行われる6月から8月は、大西洋やアフリカのサハラ砂漠に中心を持つ高気圧におおわれ、おだやかな天候に恵まれることが多い。広い地域で、高気圧から吹き出す西または北西の風が吹く。鳩レースにとって横なぐりの風だが、風力は強くない。

●アルプスを越えるフェーン
 この時期のレースをときに混乱に陥れるのは、フェーン現象とミストラル(逆風)である。フェーン現象とは、ご存知のように湿った空気が山を越えて吹き降りるときに、風下側で気温が上がって乾燥する現象。異常高温、大火、融雪洪水、雪崩などを引き起こす。フェーンとはドイツ語で「山から吹き降りてくる暖かい乾いた風」という意味で、ヨーロッパアルプスを越えてくる暖かい風にその由来がある。南風なので鳩には追い風であるが、気温が上がるため、晴れの割りに帰還率が落ちるなど厳しい帰還条件にさらされる。
 ヨーロッパではアルプスを越えてスイスやドイツに吹くフェーン現象が有名で、したがってドイツのレースはこの影響を受けることがある。

●ミストラルの猛威

 フェーン現象が南風なら、北風の逆風となって帰還の鳩を悩ませるのがミストラルで、北極のほうからヨーロッパに吹き降ろす風を指す。ミストラルは、しばしばフランス(つまりN、INの帰還コース)で強い風となって地域を荒らし回る。上の図を見ても、周りの地域が西風や北西の風のときでも、フランス東部のあたりだけは、北風の場合があることがわかる。
 その風はときにすさまじい猛威を振るう。南フランスではミストラルを「ロバの耳をも吹きちぎる」と形容することにもそれがうかがえる。ミストラルは冬が中心だが、それ以外の季節でも吹くことがある。
 イギリスから南フランスのプロヴァンス地方に移り住んだ作家ピーター・メイルは、初めて経験するミストラルをこう記す。
「ミストラルは人や家畜を狂わせる。……ときには15日間ぶっ続けに吹き荒れて、樹木を根こそぎにし、車を覆し、窓を破り、老人を溝に叩き込み、電信柱をへし折ることがある。……その年はじめてのミストラルがローヌ渓谷を吹き寄せ、途中から左に折れて家の西側をもろに襲ったとき、私たちはまるで備えができていなかった。風は屋根瓦を何枚か引き剥がしてプールに飛ばし、うっかり閉め忘れた窓を蝶番からむしりとった……マルセイユの気象情報によれば風は時速180キロ(注・風速50メートル)を記録したという」
 プロヴァンス地方では、ミストラルを防ぐために家の北向きに厚さ1メートルの壁を建てているという。
 ここに描かれているのは冬のミストラルで、春から夏のものはこれほどすさまじいものではないが、それにしても予想以上の威力のようだ。
 ヨーロッパではミストラルという名の鳩がときどき出現する。逆風のタフな条件にうち勝った鳩への賞賛を込めて名づけるのだが(日本流にいえば『逆風号』といったところか)、それだけレースマンはミストラルに悩まされているといえよう。

参考文献
清水教高『世界のお天気めぐり』
中村繁・北村幸房『気象データマニュアル』
ピーター・メイル『南仏プロヴァンスの12か月』
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