サ行 | シオン (ポール・シオン) フランス 〜1947年 |
「名門」の名がふさわしい銘系。19世紀末、フランス国内有数の繊維会社を経営していたポール・シオンは、豊富な財力にものをいわせ有名鳩舎の俊鳩を多数導入したが、これらがシオン系のベースとなった。全盛期には年間300回から400回の入賞を数えた。 系統的特質として天候・距離を問わないオールラウンド性、他の血統との融和性などがあげられる。シオンの代名詞ともいえる灰栗は日本でもファンが多い。 47年にポールが死去すると、子息ロベールが引き継ぎ、ビルバオIN2位などの成績を残した。 シオン系はイギリス、アメリカにも伝播し、日本では関口龍雄氏、並河靖氏、岩田孝七氏の3氏がアメリカのハイツマンを介してシオン系を導入、シオンブームの火付け役となった。関口氏が導入したボス、キング・オブ・フランスは有名。 シオン系は現在、シオン家一族のロベール・フイベが引き継ぎ、94年にはバルセロナN(フランス)優勝に輝いた。 |
ジルモン (ポール・ジルモン) ベルギー |
ジルモンの名声を国際的に高めたのは、72年にマルセイユINをベンジャミンが制したことによる。ゴールデン・カップル、ブルー・ファンブリアーナとロッキーの直子による快挙だった。83年にはカポラールがバルセロナINで優勝。やはりブルー・ファンブリアーナ×ロッキー直系だった。なおローセンスのアスティコ(80年クレルモン・フェランN優勝)はカポラールの従兄弟。 ジルモンの基礎ラインはファンブリアーナ、ゴーランの古いカップル。その後、デフレンドを入れて改良を進めた。その他の翔歴にリモージュNイヤリング優勝(70年)、アルジェントンN優勝(76年)、ツールNイヤリング優勝(76年)など。 |
|
ステッケルボード (アロイス・ ステッケルボード) ベルギー 〜1946年 |
ステッケルボード自身は後世に残るような成績をあげなかったが、彼の死後、多くのレースマンがこの系統を導入し、長距離レースで成功をおさめたことにより、ステッケルボードの名は不滅となった。 鳩レースを始めたのは22年。基礎鳩はマリエン系。46年に夭折したが、ミッシェル・デスカン、ダニエル・ラビューが彼の残した鳩を引き継ぎ、デスカンのアイザレンとラビューのシャトローから派生したラインは、ステッケルボードの二大飛び筋と呼ばれるようになった。 |
|
スマル (レオポール・スマル) ベルギー |
スマルといえば、ファビオラ、プレフェレによる母娘2代連続ブールジュN優勝(73年、76年)という不滅の記録に尽きる。 スマル系の基礎は、彼と同じ地区に住み、デフレンドを主力とするアンリー・ロッシーの鳩。このラインから生まれたのがスマル鳩舎源鳩ヴュー・ブルーロッシーで、この鳩の近親交配からファビオラ、プレフェレが誕生した。 |
|
タ行 | デズメ (ヘクトール・デズメ) ベルギー |
ヘラールズベルヘン出身のレースマン。ブリクー、ホーレマンス、ファンブリアーナ、カトリス、デフレンドなどを交配して、多くのトップレーサーを生んだ。代表鳩にプリンス(アングレーム・ダービーN2位、リボルヌN4位、アビニョンN4位、アングレームN4位)、クライネ・アースグラウウェ(オルレアン優勝2回、ドールダン4位など)など。 |
デフレンド (オスカー・ デフレンド) ベルギー 1889または1892〜 1960年代没 |
デフレンド系の白眉は、戦後の三大銘鳩に数えられるズワルトバンドだ。49年アングレーム・ダービーN優勝、51年サンバンサンN優勝など18回のN・INで入賞した。 デフレンド鳩舎は西フラマンのムーレという町にあり、カトリス兄弟とは同じ通りに面していた。彼はファンデルエスプトよりカレルを導入し、ファンデベルデの雌と交配して好種鳩を残し、戦後の銘系の基礎とした。ズワルトバンドもこの血を受け継ぐ。 カトリス兄弟との交流も深く、デフレンドの血統は、カトリス鳩舎を介して多くの有名鳩舎に広がっていく。カトリスのドライヤー、ペーテルスのバルセロナIN優勝鳩、ヘクトール・デズメのプリンスなどがデフレンドの血を引く一例だ。 オスカーの死後、子息のマルセルとモーリスがデフレンド鳩舎を継承し、72年にズワルトバンドの曾孫でカオールNを制した。 |
|
デルバール (モーリス・ デルバール) ベルギー 1899〜1986年 |
戦後のベルギーの三大愛鳩家の一人で、ヨーロッパ・日本鳩界に多大な影響を与えた。この系統の特質は、長距離でコンスタントに入賞を重ねる力、ピート・デウェールトがいうところのデルバールの「馬鹿力」にある。父オスカー・デルバールが作った長距離の銘鳩ブラウエ・ウィールの直娘にデプレンター、モレールスなどの鳩を掛けて作られた2羽のオス、2羽のメスがデルバール系の基礎となった。 37年にダックスがバルセロナINで優勝、さらに代表鳩プティ・エカイエは38年のサンバンサンでIN4位、N優勝、翌39年もIN3位、N優勝を遂げた。戦後にはバロンがペリギューN10位、リモージュN5位などの成績を残した。 デルバール系はヨーロッパ、日本にも広がり、各地で抜きん出た成績をあげた。ヤン・アールデン系の基礎鳩の一羽がデルバール系であることはよく知られている。ニッピス鳩舎はデルバール系の鳩を駆使して、60年代にバルセロナIN最多入賞記録を作った。日本にも59年、並河靖氏がバロンの直子バロン・スターを導入したのを皮切りに多くの銘鳩が導入された。 |
|
ナ行 | ノルマン (ノルベルト・ノルマン) ベルギー |
ベルギー最古の石炭会社社長として、アンタンベルジ会長として社会的にもピジョンスポーツ界でも高い地位を得た。 65年にファンネの作出鳩でペリギューN優勝、70年には待望のバルセロナIN優勝を果たした。ヘクトール・デズメの死後開かれたオークションで落札した銘鳩プリンスの曾孫による快挙だった。77年リモージュNでは1、2、3、5位と圧勝。またベルギー最優秀鳩舎賞を84年、86年、87年と3回獲得している。 |